「迷っているの?」

まるでそれは燦然とした大地に響き渡るような、儚い声色だった。だから僕はどうしても、それを受け入れることすら困難で、だから僕はそれに卑屈に唇を歪ませてみるだけで。彼女の腕の中は、とてもやわらかくてやさしい、薔薇の棘の中に閉塞されているような、とても哀しい世界が僕のすべてだった。緩やかに、それでも、じくじくと破滅のときは訪れる。惨劇が目の前に広がり、僕は僕が愛した藍色を追いかけた僕の手のひらを彼女のそれがやさしく包む。その冷たさに寒気が溢れ、背筋が冷えた。彼女の記憶が彼女の手のひらが僕の世界のすべてで、それを僕が殺したとき世界は鼓動を止めるのだ。彼女の冷たい手のひらが僕の頬をくすぐり、彼女薄くその朱に染められた唇を歪ませるのを、まるで僕はスローモーションのように見ていた。その指がその手のひらがその唇が、果てのない恐怖を呼ぶ。パンドラの蜜口が僕を嗤う。

「だからあなたは、」

茨の中に閉じ込められて、そのまま生涯を終えてしまいたかったのは、果たして僕なのか彼女なのか。そもそも薔薇の茨の中で、呼吸を失っていたのは。彼女が作り出したその柵の中で、彼女の薔薇の棘のような、手のひらの冷たさで、その血のような赤い唇で、歪んだ先にある恐怖は、だれを閉じ込めておきたかったのか。パンドラの甘い蜜に鍵をかけたのは、僕。僕は彼女の言葉を受け入れるには、あまりにも無知で無力で、それでいて幼かったから。藍色が色褪せたとき、彼女の睫毛の影の形。そっと手のひらで触れた、絶望。だから、彼女を葬った。鍵を彼女の子宮の中に置いて、藍色に想いを馳せた愚かな僕。茨が頬を切り裂き、つうと伝う、彼女の唇の赤。口に含んで見れば、鉄の味がして、苦くはにかんでみる。彼女の味なら、きっと薔薇のかおりがすると思ったのだけれど。浅はかな己の慢心に彼女が薄くリズムを刻む。長い唇と同じ色をした爪の鳴る音がなにかを確実に追い詰める。歪んだ世界は彼女を彩り、鮮やかに色付いたセカイは彼女を陥れた。それだけ。ただそれだけの話なのに、なんて滑稽な戯曲を奏で出してしまったのか。

「なにも救えないのよ」

僕はただ、彼女の子宮の中で、彼女を蝕んでいたのだ。

 

 

キングダム・インソムニア

 

 

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