烏が啼いたら帰ろう

だれかが待つ家路
きみの待つ部屋
鼻歌を唄って
小石を蹴り
烏が啼く

傍にいる意味さえ曖昧だったから、かれの国に伝わる古い唄の意味がわたしは当時、とてもではないけれど理解できなかった。小石を蹴って、カアカアと嘆く烏に嘲りを、もしかしたら嘲られているのは、わたしたちなのかもしれないけれど。帰る場所があるくせに、待っている人が在ったくせに、わたしたちはその存在の価値を知らずにいたのだ。世界の価値を追い求めるわたしたちは、それ自体に意味などないことに、とっくの昔に気付いている。それでもそれがなければ生きていけないような気がしたのは、意味や意図などそれ自体が理由のない柵に過ぎないのだとわかっているからに他ならない。

烏が啼く
さあ帰ろう
空っぽの部屋
薔薇一本の花瓶
つまらない散歩道
烏が啼いたら帰ろう

ひとりだと、孤独だとおもう込むことは、如何に容易であろう。なにも傷つけずなににも傷つけられずに生きていくのだから。共存は火傷のような痛みを伴い、本能、義務、意識の上に成り立っている。かれが逝ってしまったのは、人間としてあたりまえに持っていたはずの本能が欠如していたからだ。死にたくないと縋るのが本能で、明日を想うのは義務。過去を忘れるのは意識だった。どこかいつだってここにいないような薬に犯されたかれの瞳は、焦点が合わずにわたしをすり抜けていた。かれが啼くのをやめたのはいつのころだったのだろうか。忘却を知ってからは、おそらくそれさえも曖昧のうちにわたしはかれは近いうちにわすれるのだろう。

烏が啼いたら帰ろう
おいで、おいでと
きみが呼ぶから
不細工な笑顔
涙は忘れた
烏が啼く

人気のない路地で、血を吐いて倒れたそうだった。見つかったときには、もう身体は硬直していて、肌は信じられないくらい冷たかった。猫は、己の死期がちかいことを悟れば、自ら寝床から遠ざかり、己の屍体を見つからないように、遠く離れたところで、一匹、孤独に逝き絶えるという。ああ、かれも、猫だったのか。かれが不細工な鼻歌で口ずさんでいた唄は、烏の唄だったけれど。遺書はなく、酷い薬物中毒によるショック死。なぜか口元は笑んだまま、かれは啼くこともなく、最後まで、ただわらっていただけだった。

烏が啼く
ひとりとか
ふたりだとか
変わらないよね
だから、わたしは
烏が啼いたら帰ろう

だから、わたしは涙も出ない。帰ろう。帰ろう。烏が啼いたら、空っぽの、きみのかおりだけが残るあの部屋へ。烏が啼いたら、帰ろうね。

だから、安心してさよならを

 
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